プロテクションは不要である。

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サイト管理人です。
サイキックの講座の話をしていると、『プロテクションはできますか?』みたいなことを聞かれます。
プロテクションというのは、悪い波動とか念から守ることを言うと思いますが、実は・・・
使いません
もちろん、結界技とか、中学生くらいの時には使った覚えがあるけど、青かったね(笑)
プロテクション分離していることを前提としているので、そこに愛はありません
だから、使わない。
使わなくても困ることはありません。
もちろん、自分の中に強大な恐怖が沸いてくることもあるけど、それよりも強いのは自分の意志です。
だから、意志の下に愛を行使する
これが最大のことです。
敵は敵ではなく、自分の中に現れるもう一人の自分。
それを切り離す人に、愛を語る資格はありません。
相手がどんな状態でもそれを受け入れて(簡単に言えば加工しない)行くことが必要です。
ですが、大抵の場合は、意志無くしてそれは起りません
だから、意志の下の愛こそが必要です。
プロテクションを言う人は、善悪みたいに世界を二分する前提です。
ここに統一された世界はありません。
簡単に言えば次元が低いんですね。
もう一つ抽象度を上げれば、善悪も一つの世界でしかないと言うことです。
それを受け入れることができない人は、他人を必ず敵にします。
自分の中に嫌いな部分を作り、自己嫌悪に陥り、他人を攻撃します。
清濁併せ呑む感じで、それに振り回されない自分を作ることができれば、プロテクションは不要です。
思考の世界を離れて、意志の世界で愛を行使する
例え、相手を理解できなくても関係ないです。
意志の下の愛とはそう言うものだから。
そして、それを経験としてわかっていく必要があります。言葉じゃ陳腐ですしね。
ここまで来れば分かると思いますが、白魔術も黒魔術も表現の一つでしかありません。
それを越えたレベルで見てあげればやっていることは同じです。
そして、それは人の内部も酷似するわけです。
自分自身を嫌いでも良いです。どうせ、逃げられません。
受け入れるところから始めましょう。恐ろしいくらい安定します。